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2019年10月
 断捨離とは、「もったいない」という固定観念に凝り固まってしまった心を、ヨーガの行法である断行(だんぎょう)・捨行(しゃぎょう)・離行(りぎょう)を応用し、断:入ってくるいらない物を断つ。捨:家にずっとあるいらない物を捨てる。離:物への執着から離れる。として不要な物を断ち、捨てることで、物への執着から離れ、自身で作り出している重荷からの解放を図り、身軽で快適な生活と人生を手に入れることが目的である。ヨーガの行法が元になっている為、単なる片付けとは異なるものとされている。と2009年刊行の『新・片づけ術「断捨離」』 (やましたひでこ著、マガジンハウス)により提案された。と書かれていて「断捨離」は、やましたひでこさんの商標登録となっている。と記されています。
 先月、お話した「終活」も平成21年つまり西暦2009年に週刊朝日によって世に出た言葉で、奇しくも同じ年です。
 私は、「終活」と「断捨離」が今までゴッチャになっていたような気がします。「終活」を人生の終わりにあたり、いらない物を整理すると考え、二人の子供も今住む家には帰らないと思い、物はもちろん、生活の基となる わのわ(店舗を含む)・家・土地までも整理の対象にし、そしてそれを「終活」で無にして姿を消すことだと思っておりました。するとスッキリするというより、物に対する執着も愛着も無くなり、生きて行くことすら虚しくなるような気がしてきました。私が生きていたという証しも無くなり私としての存在も無になるような、何とも言えない気持ちに襲われました。
 人生昔は60年、今は100年の時代です。定年退職も昔は60歳、今は75歳と言われております。私65歳。「終活」を考えるのはもう少し先にしようと思います。
 「断捨離」も、いらない物・使わない物・必要ない物を整理すると言いますが、自分から見てそうであっても家族から見たらいる物かもしれませんし、その判断は難しいと思います。ある日の事、ズーっと置いてあったものが、気が付くと突然無くなっていました。聞くと邪魔だから捨てた、とのこと。私は捨てられると思ってもおらず邪魔だとも気が付かずいたのですが、いざ無くなると、あれは大事だったのにと声を上げてしまいました。返事は、そんなに大事な物ならちゃんと仕舞っておけばいいでしょ、との一言。価値観は、夫婦、親子、兄弟でも違います。
 「断捨離」とは、やり過ぎると自分の存在まで消えてしまうような気がします。私は、最近自分の生き様を残しておきたいと思う気持ちもあり、痕跡として物を残すのも良いのではないかと思います。皆様は如何お考えですか?残された者は、処分に金銭が掛る時代と言うのも分かります。本当に難しい世の中です。
 「終活」は人生100年の今、あまり早くから終わりを考えず、今を充実させることを優先して生きて行きたいと思います。いつかは終わります。終わるのは分かっています。それに向かって生き、見送られます。お互い様だと思えば、死んだ者の勝ちです。後はいかようにもして下さい。と思うと気が楽です。こんなことを考えるようになったのも齢のせいでしょうか?
 また、「終活」と「断捨離」がゴッチャになったような気がします。しばらく考えるのを休むことにします。
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2019年9月
 突然ですが「終活」をネットで調べてみると、平成21年に週刊朝日が造った言葉で、当初は葬儀や墓など人生の終焉に向けての事前準備のことでしたが、現在では「人生のエンディングを考えることを通じて“自分”を見つめ、“今”をよりよく、自分らしく生きる活動」のことを言います。・・・・と書いてありました。

 私も人生の終活ではなく、終店(しゅうてん)、店をいつ終わりにするかを還暦を迎えたことから考えておりました。そして65歳になった今年7月に店の広さではなく業務の縮小を考え、採算の悪かった雑貨の販売を終わりにし、きもの中心の販売に移行する考えで、雑貨の特売の後、少し模様替えをし、その後のわのわを広く皆様に知って頂くためのイベントを行いたく、東京・花想容の中野光太郎さんに伺ったところ、快く相談に乗って頂き理解をして頂いたと思ってDMの作成をお願いしました。そして出来上がって参りましたDMが「新生 わのわ」でした。終店を考えていたのに「新生 わのわ」? 迷っている時間もなく期日が到来し、7月28日に新生わのわのお披露目をさせて頂きました。店の前の天井には中野さんの作成した振袖を解いた布で円を描き、「新生」にふさわしい華やかさを強調し奥の方は地元門出和紙の小林康生さんの協力で和紙のオブジェを作ってみました。

 中野さんと小林さん、今回わのわの店舗を見るのが初めてのお二人。中野さんは「きもの屋にしては天井が高すぎて落ち着きがないね。」小林さんは畳に座り「店の顔は、ここが正面だね。ここに和紙を張って正面らしくするといいね。」とのこと。そして予定していた新生わのわ開店日8月22日までに店内の模様替えを間に合わせ、何とか開店を迎えることが出来ました。
 私たちでは思いもよらない空間が、お二人の発想・協力のお蔭で出来上がりました。それは、数々の偶然が重なりあって今の形になったように思います。ここへきて、設備投資しただけではなく、新たなる気持ちで頑張れと私たちへの励ましのようにも思います。そしてもっともっと、きものを通して皆様とわのわの輪を広げ、努力するようにと背中を押されたような気持ちです。もう少し頑張りたいと思います。皆様お付合いを宜しくお願い致します。

 次回は、個人的な終活についてひとり言を言っってみたいと思います。
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2019年8月
 今回は、新生“わのわ”についてお話させて頂きます。
 わのわ通信や葉書でお伝え致しましたように7月21日を持ちまして、雑貨の販売を終了させて頂きました。
 内輪の話で申し訳御座いませんが、雑貨販売の採算が合わず在庫負担が以前より気になっておりました。雑貨販売終了を惜しむ声もありましたが、決断をさせて頂きました。長い間ご愛顧頂きまして誠にありがとうございました。

 “わのわ通信”では7月号のおしらせに載せなければいけなかったのですが、7月28日(日)に店内を少し模様替え致しまして新生“わのわ”をスタートさせて頂きます。今までの雑貨のスペースは、普段はお越し頂きました皆様のくつろぎの場所とさせて頂き、コーヒーでも飲みながら世間話をして頂きたいと思っております。ある時は、“わのわ”がきものに関らず自信を持ってご提案できる商品の発表の場所とさせて頂きます。奥の畳のスペースは、今まで通り、きものの展示・販売です。

 あまり変わらないのではと思われる方も多いかと思いますが、目に見えないところでの変化を重視させて頂こうと思っております。“わのわ通信”に関しても、フォンジェストリート棟からこちらに移る際に400部近かった発送を、しばらくお会いしてないお客様に継読の是非を問い合わせたところ半分以上の方が不要との事でこちらに移ってから150部前後で推移して来ました。そして昨年暮れから年明けにかけて似たようなご案内をさせて頂き、4月からは70部半ばの発送となっております。目に見えないところの変化とは、大変失礼な言い方では御座いますが、“わのわ通信”の推移が示す通り、お客様の輪を小さくさせて頂き、その中でお一人お一人のお付合いをより深いものにしていきたいと思っております。輪が小さくなることにより小回りも効き、より一層のきもの好きのお手伝いが出来ると思います。

 きものを取巻く環境は大変厳しいものが御座います。しばらくすると見られなくなる技術、それにより幻の商品が出てきます。それらの技術やそこから生まれる商品を、実際に現場に出向いて自分の目で見る工房見学や希少価値の商品を店内で見て頂く機会を充実させて行きたいと思っております。
 また、きものとグルメを楽しむ旅行を計画したり観劇などに行き、きものを着る機会をご提案させて頂こうと思っております。皆様のご希望やご意見をお寄せくださいませ。

 新生“わのわ”は変わります。
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2019年7月
 私は年に何度となく、吉田拓郎の「落葉」「外は白い雪の夜」と河島英五の「時代おくれ」が聞きたくなります。先日もその時が来ました。1978年(昭和53年)吉田拓郎の「外は白い雪の夜」という曲は男が女性に別れを告げる内容のものです。その中の一節に「女はいつでもふた通りさ 男を縛る強い女と 男にすがる弱虫と 君は両方だったよね」という節があります。いまから40年前の曲です。あの頃は、フォークソングの全盛期で吉田拓郎大好き人間でした、今もそうです。
 この曲を目を閉じて聞くと、いつも同じ情景が浮かんできます。場所は東京・原宿の古びた喫茶店で木のテーブルと木の椅子が不規則に並ぶ店内、テーブルの上には丸いガラスの灰皿がぽつんとあり、客はまばらで、携帯・スマホの無い時代、老若男女が笑顔や鎮痛な表情で向かい合い、タバコの煙でかすむ店内で会話している風景です。そして自分はその中で、あの一節のような両方を持っている女性の話しを黙って聞いているのです。
 思うのです。あの頃は会って話しをする機会が多かったのではないでしょうか?顔と顔を合わせ目と目を見て話しをしました。相手を見、喜んでいる、怒っている、笑っている、我慢している、泣きそうになっていると表情を見ながら判断し会話を返していました。見えない表情に喜んだり、怒ったり、笑ったり、泣いたり出来ません。今も顔を合わせて話しをすることが多くなれば、世の中もう少し良くなると思います。
 的外れの話になりましたが、「外は白い雪の夜」の曲で男を縛る強い女性と男にすがる弱虫な女性、両方を持った女性が私は好きです。

 1986年(昭和61年)河島英五の「時代おくれ」の一節に「妻には涙を見せないで 子供に愚痴をきかせずに 男の嘆きは ほろ酔いで 酒場の隅に置いて行く」。こんな私になりたいと思っていました。今は良き事、悪き事関係なく涙腺が緩み、かみさんの前どころか子供の前でも涙を見せてしまう今日この頃です。愚痴と言えば息子か娘か忘れてしまいましたが、幼稚園の頃 大晦日に二人で番神堂に歩いて初詣に行く道中、私が「今年は大変な年だったなァ〜。来年は良いことあるかな?」とひとり言。すると子供が「パパ、コツコツ真面目にやれば、来年きっと良いことあるよ」私の愚痴に返事が返って来ました。あの時、自分が恥ずかしくなった思いと、子供の前では愚痴るものではないなと思ったものです。とは言え今も娘の前でつい口から愚痴が出てしまいます。娘は聞こえているのかいないのか反応なし、まッ良いか。
 そして、「男の嘆きは ほろ酔いで 酒場の隅に置いて行く」私にも嘆きを置いて行く場所が必要です。分かって下さい。

 いつものことながら、訳の分からない理解に苦しむ話しになってしまいました。すみません。最後に1973年(昭和48年)「落葉」この曲は私の最後の時に流して欲しいと思っている曲です。今回紹介した曲は、気持ちが少し沈みかけているときに無性に聞きたくなる曲です。皆さんもありませんか?次回は気持ちはハイな気分の時に聞きたくなる曲を紹介します。
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2019年6月
 わのわ通信5月号は発行することができませんでした。申し訳御座いませんでした。なのに!なのに!6月号は早めにと思っていたのですが、今になってしまいました。重ね重ね本当に申し訳御座いません。

 時の流れは速いもので、わのわ通信を一回お休みしているうちに時代は平成から令和に代わってしまいました。私は元号の変わる4月30日は東京の銀座に居りました。銀座・三越の最終日で、後片付けを終わらせ、手伝って頂いた方と、バッグの月之さんを急遽呼び出し、平成最後の数時間を過ごしました。という事で令和に代わる瞬間は、ホテルのベッドの上で深い眠りについておりました。
 朝、目が覚めると「うン」何でここ(ホテルのベッドの上)に・・・。そうだ一軒目を終えた後、月之さんともう一軒行ったんだ。ということは、時の過ぎるのも忘れ、時の過ぎ行くままに眠り、令和を迎えた次第です。令和初日は、東京で1日フリーです。明日から日本橋で行われる「東京きものショー」に初めて商品を出展しましたので、顔見せに伺う予定で帰らず泊まった次第です。東京に居て1日何も予定が無いというのは、私にとっては非常に辛いことでした。で何をしたか。そうそう、かみさんに頼まれていた新橋演舞場の「東をどり」のチケットを買いに行かないと。と、歩いて新橋演舞場に行きチケット購入、時間を見るとホテルを出て30分で終了、10時30分でした。ふと皇居へ行ってみようと思い、近くの駅まで歩き、電車で東京駅まで行き、皇居を目指し丸の内口出口を出た瞬間、今にも雨が落ちて来そうな空模様なのにこの人々は何なんだ!と思った瞬間、私もそうだったと思い、考えることは一緒かな?と苦笑いをしてしまいました。初めての皇居訪問を諦め、近くで昼食を取って銀座に引き返し、銀ブラをして1日が終わりました。令和初日は時間がゆっくり流れ、暇な1日でした。でも都内は新元号、令和を祝う雰囲気に溢れていました。令和が良い時代になりますように。

 5月29日朝、テレビをつけると林修が今日は「529(ごふく)の日」と言って話し出し、呉服の販売推移は今から40年ほど前は1兆8,000億円あったのに今年は2,875億円だと言っていました。私がこの仕事に就いた頃が40年前、そして今日、きもの産業は6分の1にまで縮小してしまいました。今月1日、十日町の産地問屋の社長から電話が入り、柏田屋(十日町一の染物製造業)が倒産したよとの事、4月に柏田屋に行き商品を仕入れて来たばかりなのに・・・。今年1月にも同じ十日町で染物製造業が倒産しています。染物ばかりが2軒も続けて・・・。ショックです。

 皆さん暗い話になってしまい申し訳ございません。でも、本当の事を皆様にお伝えし、日本の民族衣装を失くすことは出来ないと思っております。そのためには私たちがきものの良さをもっともっと広め、お召し頂く努力をしていかなければと思っております。これからも宜しくお願い致します。
 来月からは、わのわ通信の期日を守り発行したいと思います。
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2019年4月
 先日、山形県酒田市の小売屋さんから電話があり、ゴールデンウィークに振袖を見たいと言うお客様がいるので一式用意できないかとの連絡がありました。電話を切ってあまりにも久しぶりの振袖の依頼。考えてみたら娘のお友達と娘のを作って以来のことです。その娘も今年で26歳。こんなに振袖に縁がなかった年月は初めてかもしれません。後日、十日町に出向いた時に先方からの依頼の話をし、振袖を借りるお願いをすると「どっちが良いの?」との問。「えっ、何?」と答えると、インクジェットの振袖が良いのか、普通の振袖が良いのかという問だそうです。先月末に集金に来た問屋の話で、某小売屋さんが振袖のお手入れを預かったところ化繊の生地だったそうです。その問屋も化繊の生地の振袖が出回っているとは聞いていたが、普及の進みが早いなァと言っていたことを思いだしました。話は戻り、何でどっちと質問したのかと聞き返したら、今はインクジェットの振袖が主流だそうで依頼があると訪ねるのだそうです。時代は変わりました。安価で買えて多くの成人の皆さんがお召頂けるなら、それはそれでよいのかと思います。

 東京に出ると結構な割合で会う高校時代からの友人家族の話です。先日、東京・日本橋の“ブリッジにいがた”に行った時も一緒に夕食をとる段取りになっていました。数日前に彼から連絡があり、息子夫婦も同席で良いかとの事。私たちも月之さんといつも販売の手伝いをしていただく平林さんと4人で行くのでみんなで一緒に飲もうという事で当日会いました。友人の息子さんとは30年以上も前に会っただけだったのでお互い初対面と一緒です。酒の席とはいい、若夫婦の気さくさにはビックリです。もし私の息子が同じ立場で私の友達と一緒に会ってくれるかと考えたら、良いよとは言わない気がします。
 時間も進み酔いが回って口が軽くなり、周りに関係なく友人と私で高校時代の思い出や結婚前の昔話をしていても嫌な顔をせず若夫婦はニコニコと聞き入ってくれていました。そんな時、友人がぽろっと○○ちゃん(息子さんの嫁)は俺のことを「○○さん」と名前を呼ぶんだよ、俺は「お父さん」と呼んで欲しいんだと言い出したのです。周りのみんなもえっという顔でお嫁さんを見てしまいお嫁さんは「えっ、おかしいですか?」と一言。お嫁さんが言うには、「お父さん」というのは私の父だけで義理のお父さんには「お父さん」と言えないというのです。理解に苦しむ言葉が返って来ました。
 いくたびかみんなで話が行き来したのちに、これからは「お父さん」呼んでもらえることになり、その場は丸く収まったのですが、子供たちと親との間には計り知れない隔たりがあるのかもしれません。普段は、和気藹々と会って何気なく過ごしている日々の中には、年の違い時代の違い育ち方の違いで考え方も違ってくるのだと考えさせられました。
 最近お客様からもいろんなお話をお聞きしますが、理解し納得できることが以前より少なく、それは違うんじゃないとかそれはダメでしょと反論する方が多くなってきたような気がします。今の時代との開きや自分の尺度との違いが大きくなってきたのかもしれません。これからも皆様の体験談をお聞きし、息子や娘とのギャップを乗り越えて行きたいと思います。皆様のいろんな体験談をお聞かせ下さいませ。
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2019年3月
 二月も終わるというのに雪も無く穏やかな日々が続く今日この頃、皆様お元気ですか?と申してはみたものの商売的にはパッとしない日々が続いております。足元も良いのに何で誰も来店してくれないんだろうとぼ〜っとして時間を過ごすことの多いこと・・・。皆さんわのわに顔を出してください。

 雪も少なく足元が良かったこともあって、先月・今月と、いろんなところからお誘いを頂き、支障なく誘われるままに顔を出して参りました。
 その中で米沢の取引先の粟野商事の横山さんから2月の8日・9日の「上杉雪灯篭まつり」に何とか都合をつけて来て下さいとの事、「何で?」と聞くと「どうしても」とそれしか答えてくれません。
「ちょっと考えて連絡します。」と電話を切り、時間をおいて断るつもりでした。何度もの誘いの連絡。
そして「何で?」と聞くと「どうしても」と繰り返すだけ、普通ならきっぱりと断るのですが、横山さんの「どうしても」という言い方が気になり、何となく「じゃァ行くよ。」と返事をしてしまいました。「上杉雪灯篭まつり」は何年も前から誘いはあったのですが、十日町の雪まつりさえ行ったことが無いのに何で寒い中を米沢まで行くのかという理由で断って参りました。今回は「どうしても」来いとしか言わないことに、何かあるなと逆に考え、行くと言ってしまいました。
 そして当日、昼食後、粟野商事の社屋に行くと皆様もご存知の野々花染工房の諏訪豪一さんと昨年11月にお越し頂いた叶V田の新田英行会長の息子・現社長、源太郎さんの二人展

「二藍の会」が模様されておりました。二藍とは、藍の上に紅花を染め重ねた平安時代に愛好された紫系統の色で古くから紅花は紅藍花、呉藍とも呼び、紅藍(くれない)と表記されました。藍と紅藍の二色の藍で染めたという意味から「二藍」と呼びます。若年ほど紅を強めに、壮年ほど藍を強くする傾向があるため、二藍は使う方の年齢や趣向によって各種存在していました。今回は、藍染めと紅花染めの両工房の作品発表会です。このためにお呼びがかかったのです。罠にかかった?でもないか、二人の力作を見ることができました。米沢の人は、仲が良いんだなァと思いました。
 この、雪灯篭に合わせて行われる染織展ももう31回。30年を機に止めるという話も持ち上がったのですが、先程から紹介している豪一・源太郎の二人が昨年同時期に新しい社長に就任したこともあり、新たなスタートとしてこれからも継続していくこととなりました。そんな記念すべき二人展を見に行けて良かったのかなァと思います。
 その夜は豪一・源太郎の二人が主催の雪見の宴が、国の登録有形文化財に指定されている米沢牛・山懐料理「吉亭」にて行われました。米沢の料理を堪能し、ほろ酔い加減で雪灯篭を見学に外へ。
 ようやく肝心の「上杉雪灯篭まつり」ですが、お世話になっている粟野商事の今の会長さんら有志が立ち上げた祭りだそうです。米沢にある城址公園内で行われます。日中に通った時は雪で作られた白い灯篭が道の両脇に並んでいるだけで、車で通る分には白い塔が並んでいる、それだけでした。夜、灯篭に火が灯ると景色は一変、暗闇に灯篭からこぼれる蝋燭の炎の灯りが幻想的な世界を映し出しています。「来て良かった!」と思いました。そしてこの光景を来年は是非皆様と見に来たいなァと思いました。来年は一緒に「上杉雪灯篭まつり」行きませんか?
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2019年2月
 今年は昨年に比べまして荒れる日の少ない年明けとなりました。元旦にいつも行く、長岡の高龍神社も足元良く参拝が出来ました。昨年の暮れに恒例の今年の漢字「災」が発表されました。北海道・大阪・島根での地震、西日本豪雨、大型台風到来、記録的猛暑など、日本各地で起きた大規模な自然「災」害により、多くの人が被「 災 」。自助共助による防「災」・減「災」意識も高まったという事で選ばれたみたいですが、世相を反映しているとは思いますが個人的には好まない一字でした。

 高龍神社では毎年初詣の時に神社総代が今年の漢字一文字を発表します。今年は「信」の一文字でした。辞書を引いてみると、@ あざむかないこと。いつわらないこと。忠実なこと。まこと。儒教では五常の一つとされる。 A 疑わないこと。信頼すること。信用。などと書かれています。今まではあまり気にせず参拝から少し日時が過ぎると忘れてしまうことがほとんどでした。
 今年はもう一つ久しぶりに柏崎市・柏崎商工会議所主催の賀詞交換会に出席した際に、商工会議所会頭がある会で発表したという漢字一文字の「継」がとても気になり、この二つの漢字を1月が終わろうとしている今日も覚えております。

 4月に新しい元号が発表され5月には平成の30年間も終り、新しい元号がスタートします。時代の進化の速度が速い今、考え方やものの捉え方が一人一人全て違うと言っても過言ではない今の時をどのように過ごしたらよいか ちょっとだけ考えてしまいます。そんな時になぜか「信」と「継」の漢字がよぎります。
 今年は、何となく“わのわ”も変わる年かなァ〜と思っております。具体的には言えないのですが変わらないといけない年だと思っております。相対する方々をあざむかず、いつわらず信頼される“わのわ”であること。良きものを皆様にきちっと伝えることができる“わのわ”であること。
 具体的には皆様と作り人の距離をぐ〜っと近づけるお手伝いをしたいと思います。そしてもっと
きものを着る機会を多くつくって行きたいと思っております。皆様も“わのわ”が出来る出来ないは関係なくご意見をお寄せ下さいませ。
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2019年1月
 皆様、明けましておめでとうございます。旧年中は、わのわをご愛顧下さいまして誠にありがとうございました。本年も、益々のご愛顧を賜りますようお願い申し上げます。
 暮の話です。十日町の某問屋で私と同年の方が、「わのわさん、来年は私たち中学を卒業して50年の節目の年だよ。」そして彼女曰く、来年盛大に同期会を行う計画との事でした。その時はあまり関心もなく聞き流しておりましたが、その夜、その頃って何があったのかなァ〜と思い、調べてみたら、東名高速道路全通・人類初の月面着陸・日本初のホームセンター1号店・グリーン車、普通車制導入・テレビアニメ『サザエさん』放送開始などの出来事がありました。 日本銀行が今は無き五百円札を発行したのもこの年でした。ファッションではマイクロミニスカートとロングスカートが流行り、パンタロンスタイルが全盛。流行語は「あっと驚くタメゴロー」「オー、モーレツ!」「ナンセンス」など。そしてこの年の日本レコード大賞は「いいじゃないの幸せならば」日本有線大賞が「港町ブルース」でした。
 都会では、幼稚園受験や小学校・中学校受験もありますが、地方では小学校・中学校は当時通学区域も決まっていて、ほぼ同じ仲間で過ごしていました。そして中学を卒業する15歳を境に、一人一人別々の人生を歩んできました。そして今年が分かれてから50年。聞き流していた私も考えさせられました。なんかみんなに急に会いたい思いが湧いてきました。今年、同期会やろうかなァ〜。

 わのわは今年皆様と一緒に織元・染元へ出向き、織っているところや染めているところを見て頂きたいと思っております。自分のきものがどのようにして出来上がったのか確かめることで愛着が深まると思います。また、きものでのお出かけの機会を多く提案をして、せっかくお求め頂きたきものを数多く着ていただき、きもの好きの輪を広げて参りたいと思っています。その節は、多くの皆様のご参加をお願い致します。きものでこんなところに行きたいとか、きものでこんなことをやりたいなどご提案が御座いましたらお聞かせ下さいませ。

 わのわは今年一年皆様が健康で、きもの生活を楽しく過ごせる環境づくりを協力し応援して参ります。今年一年わのわといっしょにきもの生活を楽しもうではありませんか。どうぞ宜しくお願い致します。
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